日本の心!?演歌の始まりは世の中を風刺する歌だった!?

風情のある町並み

はんはっは〜はんは〜(歌ってる)♪
もはや「日本の心」とも言われる演歌ですが、いつ頃からどのように生まれたのか!?
長い歴史や積み上げられた伝統がありそうなものですが、今回はその演歌についての雑学をちょこっと記しておきたいと思います。

目次

演歌の歴史

演歌はもともと、明治中期に自由民権運動の中で生まれました。演説の取締りが厳しくなった頃、代わりに政治を風刺する歌で政府への批判を大衆に訴えたことが【演歌】の名称のはじまりとされているのです。
明治後半からはバイオリンを弾きながら歌う演歌師が増え、しだいに演説という意味合いがなくなり音楽という要素が強くなっていきました。
大正時代に入ると、演歌師の中から洋楽の手法を使って曲を作りだす者も現れてきます。また、情緒的、退廃的なものが増えていき、艶歌とも書かれるようになり、徐々に歌の内容も幅広いものとなっていきました。

ですが、昭和時代に入る頃には演歌という音楽はなくなり、流行歌が大衆音楽を独占します。
とはいいましても、それは一時的なもので、その流行歌も1950年代に藤山一郎が引退するころには更に形をかえ、今の演歌に近い曲が出てきました。
そして、流行歌は多数のジャンルに分かれるように消えていき、その中の一つから【演歌】というカテゴリーが実際に生まれました。
それは1970年前後の出来事で、実は演歌としての歴史はそこまで長いものでもないのです。

演歌の特徴

主に音階法(ヨナ抜き音階)で作られ、歌唱法は「小節(こぶし)」を回したり、「ビブラート」を入れていきます。
また、日本的というイメージが大切なので、多くの歌手が和服を着て歌い、曲は切なさや情緒的なものが多くなります。

P.S.演歌を意識して聞くことがあまりなかったので、少しその時間を作ってみたいと思います。
はんはっは〜はんは〜(うまく歌える人が羨ましい)♪

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